一霊四魂とは何か
一霊四魂の起源
一霊四魂のそれぞれの要素は、神様の名前として、すでに日本書記(720年)に出てきます。
天帝から、大物主命(おおものぬしのみこと)は、少彦名命(すくなひこなのみこと)の二人で、地上建設を命ぜられます。大物主命の別名である大国主命(おおくにぬしのみこと)は、「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)の童話で有名で、あなたも名前を聞いたころがあると思います。
二人は絶妙のコンビで仕事にまい進しますが、相棒の少彦名命は「黄泉(よみ)の国」に行ってしまいます。つまり、死んでしまったのです。相棒を失った大物主命(大国主命)は、落胆し、海に向かって「おれはこれからどうやって地上建設をやっていったらいいんだー」と叫びます。
すると、水平線のかなたから、光の玉がやってきて、大物主命の目の前で止まります。大物主命は「なんじは誰ぞ」と問います。すると、その光りは、「私はあなたのさちみたま(幸魂)、くしみたま(奇魂)です」と答え、大国主の体内に入ったのです。
これは少彦名命が、奇魂(智)と幸魂(愛)の魂だったことを示しています。それでは、大国主命の魂は何だったのでしょか?日本書紀には、書いてありませんが、大国主命は、荒魂(勇)と和魂(親)を持っていたのだと思います。
天帝は、二人で勇親愛智を合せ持つ完璧な魂にして地上建設に送り込んだと考えられます。大国主命は、少彦名命の2つの奇魂と幸魂の光を体内に取り込むことで、ついに完璧な魂を持つことになって地上建設を行うことができたのです。
この神話は、4つの魂があってはじめて、人は天から命じられた仕事(天職)が完璧にできることを示唆していると私は思っています。日本には、1300年前にすでに優れた心の構造の考えがあって、それが現代にも密やかに伝えられています。
一霊四魂の構造は、江戸時代には本田親徳(ほんだちかあつ)という国学者、明治になって、出口王仁三郎によってまとめられています。「犬夜叉」という漫画に出てくる四魂の玉も、この日本古来の魂の考え方に基づいているのです。
一霊四魂の構造
心は、4つの魂とそれを統御する一つの霊から成り立っています。四つとは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂であり、一霊は直霊(直毘)という神様の名前がついています。荒魂の働きは「勇」で前進する力、和魂の働きは「親」で調和する力、幸魂の働きは「愛」で愛し育てる力、奇魂の働きは智で真理を探究する力です。人によってそれぞれの魂の強弱が異なり、その組み合わせによって個性(性格)ができていると考えるのです。
そして、これら四つの機能を統括するのが、省みる力を持った一霊「直霊」(なおひ)です。私たちは、自分がした行動や自分に浮かぶ考えや想いに対して、「こんなことをしたらダメ」「やりすぎだよ」「そんなことを考えたら良くない」「言わなきゃよかった」と、省みることがあります。つまり、自分の思いや行動をもう一人の自分が正しているのです。
さらに、この反省する力によって、それぞれ4つの魂を磨くことができ、人格が成長するという考え方が、日本古来の魂の構造なのです。この直霊は、人間の精神にとって最も大切な機能であり、認知心理学では「メタ認知」と呼ばれています。仏教では「観照者」、キリスト教では「プロビデンスの目」(全能の目)、古くはエジプトで「ホルスの目」、日本の室町時代には世阿弥によって「離見の見」と呼ばれたモノに匹敵すると考えられます。
これは、私たち自身が日常で観察することにも合致しますよね。これが千数百年も前に既にできあがっていた考えだとしたら、素晴らしいですね。
5因子論と一霊四魂の比較
心は、勇、親、愛、智の4つの機能を備え、人によってそれぞれの強弱が異なっています。
4つの魂は、直霊の省みる機能で磨かれ発達するという考え方が、日本古来の魂の構造です。
一方、米国のゴールドバーグ博士によって「BIG FIVE THEORY」と名づけられた最新のパーソナリティの考え方である「5因子論」では、人の性格は、外向性、親和性、感情的安定性、知性、良心(誠実性)という5つの性格特性から成りたっているというのです。
これが、5因子論の概念図です。
その特性である「外向性」とは、前向きに物事を進めること、「親和性」は、人と親しみ調和を保つこと、「感情的安定性」は、感情の豊かさ、「知性」は、好奇心や分析力を現わします。「良心」は、誠実性や道徳性です。これら5つの特性が組み合わさり、人それぞれ、5つの特性のバランスが違うことによって、個性ができているというのです。
このように、パーソナリティの最先端の考え方である5因子論と、一霊四魂の5つの因子は極めて似ています。では、この二つには、どのような共通点と相違点があるのか、ここで整理しておきましょう。それが、このプロジェクトにおける日本古来の魂の考え方を実社会で応用するのに極めて大切だからです。
@共通点
5因子論における5つの特性は、一霊四魂の5つの機能とかなり一致します。
現代心理学の代表的な5因子論の考え方は、先端の科学が導き出した理論です。その理論にも勝るとも劣らない基本的な考え方が、古来日本に存在したということは、驚嘆に値します。
A相違点
ただ、一霊四魂の考え方は、5因子論と表面は似ていますが、二つの質的な違いがあります。
(1)一霊四魂は人格の統合を説明できる
一霊四魂の考え方では、直霊が4つの機能をコントロールするということです。
一方、5因子論では、5つの特性が並列に分類されただけであり、どれかが特別な存在ということはないのです。この考え方では、5つの特性がどのように統合され、安定した人格が存在するのかを理論的に説明できないことになります。
なぜなら、5因子論は、辞書から性格を表わす形容詞を抜き出してきて、統計的にお互いに干渉し合わないグループがいくつあるかということをまとめたものであり、それらをコントロールする機能に関しては何も言っていないからです。
つまり、5因子論は一元論ですが、一霊四魂の考え方は、直霊が他の四機能をコントロールするという考え方なので、二元論といえます。これによって、人格がどう統合されているのかを説明できるのです。
(2)魂は発達し、その発達段階も提示できる
もう一つの違いは、性格は、発達するかしないかという点にあります。5因子論には発達するという概念がありません。5因子の発現は、遺伝的なものだと考えられているからです。
つまり、5因子論では、「性格は遺伝的に決定されていて変化しない」という前提があるからです。実際に、DNAの中に性格因子を探す研究が行われています。性格は生まれつきで変わらないもので、たとえ変わったとしてもそれは学習によるもので、別物なのだと考えているのです。
すると、5因子論からは、その人の人格を磨こうという発想は出てきません。変化せず、人格は固定したものですから、そもそも磨くものではないわけです。
一方、一霊四魂の考え方では、「魂は豊かに成長する」ということです。「魂は磨くもの」「発達していくもの」と考えるのです。このような考えのなかからは、「魂が発達するのであれば、発達させようではないか」という発想が湧いてきます。しかも、その発達段階まで提供しているのです。
この2つの相違点は、人生への応用という視点からみると、重大なものとなります。
確かにパーソナリティを科学的に説明するには、5因子論が今もっとも最先端であるかもしれません。しかし、その五因子に対応する日本古来の一霊四魂の考え方があり、さらに、それは、私たちの人生をさらに豊かにしてくれる可能性を提供していると思うからです。
それは、魂(性格)因子は、コントロールでき、さらに、発達させることができるという発想をもたらしてくれるのです。
人間を科学的に研究している人たちは、私がそうであったように、「データはあるのか」「統計的な分析はしたのか」という疑問を持たれるかもしれません。もちろん実験的研究によってデータの蓄積は必要ですが、人間のパーソナリティは5つの特性(因子)から成り立っていることは十分なデータがあり、それは一霊四魂にも当てはめることができます。
要は、「発達するのか、そしてその発達過程は存在するのか」という一点が焦点になります。いままで私たちの多くは、「性格は直らないもの」「修正できないもの」「三つ児の魂百まで」と考えてきました。
しかし、私たちは、これまで変わらないものとされてきた「性格」を、「魂」は磨かれ、豊かに発達するという視座から、実生活において、臨床的に検証していくことができるのです。この磨くという過程で、自分や人の考えや想いがわかるようになり、人間関係に革命的な進化をもたらすことができると、私たちは確信しているのです。
一霊四魂の機能
「一霊四魂」とは、簡単に言うと、私たちの「心」は、四つの魂から成り立ち、それらを一つの「霊」がコントロールしているのです。勇、親、愛、智という4つの魂の機能があり、それらを、直霊(なおひ)がコントロールしているという考え方です。簡単にまとめると、勇は、前に進む力です。親は、人と親しく交わる力、愛は、人を愛し育てる力、智は、物事を観察し分析する力です。
これら4つの働きを、直霊(なおひ)がフィードバックし、良心のような働きをするのです。例えば、智の働きが行き過ぎると、「あまり分析や評価ばかりしていると、人に嫌われるよ」という具合に反省を促すのです。つまり、この直霊は、「省みる」という機能を持っているのです。
「一霊四魂」とはどのような考え方なのか、さらに探求してみましょう。
勇 −荒魂(あらみたま)
四魂の1つには、荒魂「あらみたま」という神様の名前がついています。
「勇」は前に進む力です。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもあります。その機能は、「勇」という一字で顕わされてきました。さらにこの「勇」は進、果、奮、勉、克という5つの機能に分かれます。
これは先に述べた5因子論の「外向性」と対応します。
親 −和魂(にぎみたま)
2つめの魂には和魂「にぎみたま」という神様の名前がついています。親しみ交わるという力です。その機能は、一字で表現すれば「親」。これも5因子論の「親和性」に対応します。
その機能はさらに、平、修、斎、治、交の5つに分かれます。
愛 −幸魂(さちみたま)
3つめの魂には幸魂「さちみたま」という神様の名前がついています。人を愛し育てる力です。この機能は、「愛」という一字で表されます。愛で大切なものは、やはり感情です。幸魂が強い人は感情量が豊かな人です。5因子論の「感情的安定性」と類似の特性を捉えていると思います。
これは、さらに益、造、生、化、育の5つに機能が分かれます。
智 −奇魂(くしみたま)
4つめの魂には奇魂「くしみたま」という神様の名前がついています。これは、観察力、分析力、理解力などから構成される知性です。この機能は、「智」。なんと、これも5因子論の「知性」とあまりにも符合するではありませんか。
この機能は、さらに巧、感、察、覚、悟に分かれます。
このように、5因子論のうち、4つの因子は、日本の魂の4つの機能と酷似していることに、あなたも気づくと思います。では、「良心はどこにいったの」と思いませんか?それが、次にお話する5つめの機能なのです。
省 −直霊(なおひ)
@
直霊は四魂をフィードバックし磨く
「直霊(なおひ)」とは、どのようなものなのでしょうか。直霊の機能を一字で表すと「省」で、自分の行動の良い悪いを、省みる(かえりみる)ということです。これは、5因子論の「良心」という特性に極めて近いと思います。
魂の内側にあり、もっとも純粋にして至善、至美の霊魂です。この直霊だけが、直接「天」につながっています。そして、天につながっていない四魂(勇親愛智)を統括していると考えます。あるいは、四魂のそれぞれの内に直霊があるとも考えてもよいでしょう。
直霊は、ものごとの善悪を判断して、人を誤らせないように導きます。もしも誤ってしまった場合は、それらを反省し、自らを責め、悔い改めます。
このように、直霊は、四つの魂をコントロールすることで四つの魂を磨くという働きをしています。これは現代心理学における重要な概念であるメタ認知といわれるものに匹敵します。
直霊は、天とつながっており、「天」の基準でフィードバックします。人と比べたら優れていることも、天から見ればまだ足らないと考えます。だから厳しい見方を自分自身にするのです。
つまり、常に直霊が天とつながっていて、正常に機能する限り、常に四魂をコントロールして磨いていってくれるわけです。
このように、日本古来の魂は、前述した四つの魂の組み合わせ、つまり心の四つの機能から成り立っていて、これら四つの魂を直霊がコントロールしているのです。
直霊のフィードバック方法
直霊は、四魂(勇親愛智)を、フィードバックすることで、コントロールしています。では、どのようにフィードバックするのでしょうか。
この図を見てください。
@荒魂(勇)には「恥じる」で
「勇」の力ですから、前にどんどん進んでいきます。もしも荒魂が「勇」の力でがむしゃらに進んでいってしまうときは、直霊が良心の働きをしてコントロールします。
直霊は、荒魂に対しては、「あなたは前に出すぎですよ!」「でしゃばったら、いけませんよ」とフィードバックします。このときは、「恥じる」ということでフィードバックするのです。「恥ずかしく思いなさいよ、そんなにでしゃばって」ということです。
あるいは反対に、「もっともっと行動しなさいよ」と後押しすることもあるでしょう。
このように、直霊は「勇」に対して働いてくれるわけです。
A和魂(親)には「悔いる」で
「親」の力とは、親しみ交わることで、平和や調和を求めます。したがって、場を乱さないように動きます。それに対して、直霊はときによっては、「人と仲良くするのはいいけれど、妥協しすぎですよ」「波風を立たないようばかりしていたら、進歩がないですよ」というように、フィードバックし、和魂を鍛え磨いてくれるのです。
和魂に対しては「悔いる」ということでフィードバックします。「なぜこんなことをしたのだろう」というふうに、悔いることをさせるわけです。
B幸魂(愛)には 「畏れる」で
「愛」は、人を受け入れ、許し、育て、何かしてあげようという力ですから、それがゆがんだ形で現れれば、あなたは人が自分でできることもやってしまったり、おせっかいになったり、ひいきの引き倒しになったりする場合があります。あるいは愛するあまり、道ならぬ恋に陥ったりする。そんなときには、直霊は幸魂に対しては、「そんなに子どもを溺愛したら駄目ですよ」「妻子がいるのですよ」「感情的にならずに冷静に」というようなフィードバックをします。
このときは、「畏れる」(おそれる)ということでフィードバックします。天を畏れさせるわけです。たとえば、盲目的に愛情に走りそうになったときに、あたかも「天を畏れなさい」というような「良心の痛み」を与えることになるのです。幸魂の暴走をコントロールし、磨いていくのです。
C奇魂(智)には「覚る」で
「智」は、物事を観察し、分析し、工夫するという力です。また、物事を深く探求し悟ろうとします。したがって、自分の基準によって、人や物事を厳しく見てしまいます。ですから、直霊は奇魂に対しては、「智に働けば角が立ちますよ」ということをフィードバックしてくれます。
このときは、「悟る」ということでフィードバックします。たとえば、これまで自分が正しいと思ってきたことでも、新しい別の事実や分析が出てくれば、素直に「自分は間違っていた」と悟らせてくれるのです。
このように四魂の行動に対してフィードバックし、それぞれを磨いてくれるのが、直霊の働きです。つまり、直霊は5因子論で「良心」と呼んでいるものに対応し、「省みる」という意味で「省」という字を当てはめられてきました。これは五情の戒律と呼ばれてきました。
このように、直霊が、四魂をフィードバックし磨くことで、魂を発達させるというのが、日本の伝統的な魂に対する考え方なのです。これは一霊四魂と呼ばれ、ひっそりと神社など神道において継承されてきているのです。
曲霊(まがひ)の存在
直霊が正常に働いているときは、四魂は磨かれていきますが、正常に働かなくなるとき、直霊は、曲霊(まがひ)になってしまいます。
曲霊によって、荒魂は争いばかりをする争魂となり、和魂は少数の仲間と悪だくみをする悪魂となり、幸魂は道徳的に退廃いした逆魂、奇魂は思想的に歪んだ狂魂となるのです。
私たちは常に多かれ少なかれ曲霊にさらされているので、身辺を潔斎し正しい祈りをすることが大切です。この曲霊は善の仮面をかぶってやってきます。自分の内なる声に「自分が正しい」とか「自分はもっと評価されるべきだ」が出てきたら注意が必要です。
四魂は磨かれ全徳を目指す
四魂は直霊によって磨かれることで、四段階で成長していきます。その段階とは何でしょうか。一つずつ見ていきましょう。あなたの成長の道しるべとなるかもしれません。
第一段階「一徳」
四魂のうち一つの魂が十分に発達した状態を「一徳」といい、一つだけ発達しても天国に行けると言われています。
第二段階「二徳」
二つの魂が十分に発達した状態を「二徳」といい、一徳の次は二徳を目指すことになります。二徳の組合せは、1.勇親、2.愛智、3.勇愛、4.勇智、5.愛親、6.親智で、合計6通り、それぞれ逆の組合せもあるので、厳密にいえば12通りあることになります。
四魂のうち、荒・和の二魂を経(たて)の魂といい、幸・奇の二魂を緯(よこ)の魂と呼ばれてきました。荒・和二魂が主となり、幸・奇二魂が従となっている魂を「厳霊」(いづみたま)と言い、幸・奇二魂が主となり、荒・和二魂が従となっている魂を「瑞霊」(みづみたま)と言います。
人間の霊系には、厳霊的な人と、瑞魂的な人に分かれるともいわれています。
第三段階「三徳」
3つの魂が十分に発達した状態を『三徳』といい、勇智愛、勇親愛、勇親智、親智愛の
4つの組合せがあります。
第四段階「全徳」
4つの魂全てが十分に発達した状態が「全徳」で、この全徳を備えた魂に対して、伊都
能売御霊(いづのめのみたま)という神様の名前がついています。人間はこの全徳をめざして魂を磨いていくことが目的であるとされています。
このように、魂の発達に段階と方向性があります。人間は全徳を目指して四魂を磨いていくものであり、その過程が人生であると考えられてきたのです。この魂の構造とその発達段階は、日本書記以来の千数百年にわたって進化してきた壮大な体系で、現代の西欧のパーソナリティ理論を超えて、人間への深い愛情に根ざしていると思います。
参考文献
「本田親徳全集」(1976年) 本田親徳 (著) 鈴木重道 (編集) 山雅房
「霊界物語」出口王仁三郎(著)全81巻83冊 天声社
「人の心が手に取るように見えてくる」(2007年)出口光著 中経出版
「聴き方革命」(2008年)出口光著 徳間書店
「一霊四魂と和の精神」(2013)出口光著 サムライ出版